三河三奉行(1)
三河三奉行とは、徳川家康の三河(岡崎)時代に奉行
として活躍した家康の家臣で、岡崎三奉行とも呼ばれる。
永禄8年(1565)家康は、本多重次、高力清長、
天野康景の三人を三河奉行として民政等を担当させた。
その当時「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛」
という俗謡が流行しましたが、三人三様それぞれの性格が
異なる家臣を抜擢し、新しい職制を築いたといわれている。
本 多 重 次 ほんだ しげつぐ
通称:鬼作左、作左衛門
・生誕:享禄2年(1529)・死没:文禄:5年(1596)
・墓所:福井県坂井市 本光院
頑固で厳格な性格でしたが、誰に対しても分け隔てなく
公平,平等に接していたので多くの領民に慕われました。
また、主君の家康にも遠慮なく諫言したといわれている。
日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな
馬肥やせ」は、天正3年(1575)の長篠の戦いの陣中から妻に
あてた手紙ですが、仙は嫡子(長男)の仙千代のことです。
仙千代は後に、越前丸岡城の初代藩主である本多成重です。
手紙の故事を記念した碑が越前丸岡城にあります。
本多重次生誕地
糟目犬頭神社 岡崎市宮地町
岡﨑市南部 JR岡崎駅から徒歩約25分のところです。
山 門 拝 殿
本多作左衛門重次生誕の地碑 境内にあります。
三河三奉行ゆかりの地を訪ねましたが、それぞれ
性格に特徴がある家康の三家臣で、いろいろな
エピソードがあったと伝わりますが、ここでは
詳細は省略しました。
次回は「高力清長」を紹介です。