2018年1月22日月曜日

三河武士ゆかりの地を訪ねて-2


三河三奉行(1) 

三河三奉行とは、徳川家康の三河(岡崎)時代に奉行
として活躍した家康の家臣で、岡崎三奉行とも呼ばれる。

永禄8年(1565)家康は、本多重次、高力清長、
   天野康景の三人を三河奉行として民政等を担当させた。
   その当時「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛」
  という俗謡が流行しましたが、三人三様それぞれの性格が
   異なる家臣を抜擢し、新しい職制を築いたといわれている。


本 多 重 次 ほんだ しげつぐ 
通称:鬼作左、作左衛門
・生誕:享禄2年(1529)・死没:文禄:5年(1596)
・墓所:福井県坂井市 本光院 

頑固で厳格な性格でしたが、誰に対しても分け隔てなく
公平,平等に接していたので多くの領民に慕われました。
 また、主君の家康にも遠慮なく諫言したといわれている。

 日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな
  馬肥やせ」は、天正3年(1575)の長篠の戦いの陣中から妻に
あてた手紙ですが、仙は嫡子(長男)の仙千代のことです。
仙千代は後に、越前丸岡城の初代藩主である本多成重です。
手紙の故事を記念した碑が越前丸岡城にあります。

本多重次生誕地
  糟目犬頭神社 岡崎市宮地町
岡﨑市南部 JR岡崎駅から徒歩約25分のところです。


山 門                                    拝 殿

本多作左衛門重次生誕の地碑 境内にあります。

三河三奉行ゆかりの地を訪ねましたが、それぞれ
性格に特徴がある家康の三家臣で、いろいろな
エピソードがあったと伝わりますが、ここでは
詳細は省略しました。

次回は「高力清長」を紹介です。


2018年1月13日土曜日

三河武士ゆかりの地を訪ねて-1


三河武士とは、徳川家康に仕えて貢献した譜代の三河出身家臣の総称で、
家康の家臣は三河武士で構成されていて、精強で家康への忠誠心が強い。
三河は、愛知県東部(岡﨑市、豊橋市など)で西部(名古屋市など)は尾張です。

徳 川 家 康 公
家康公生誕地:岡崎城
(岡﨑市康生町岡崎公園内)

概 略
竹千代(家康)は、松平氏第8代当主松平広忠の長男として1542年
 (天文11年)12月26日寅の刻(午前4時頃)岡崎城内で誕生しました。
    母は水野忠敬の娘於大で、幼名は竹千代、のち元信、元康、家康と改める。
 豊臣秀吉の天下統一後は、1590年(天正18年)関八州に移封される。
      関ヶ原の戦い後は、1603年(慶長8年)征夷大将軍となり、江戸幕府開く。
1616年(元和2年)75才で没す。久能山に葬られる。
江戸幕府歴代将軍の位牌は、岡崎市内の大樹寺に安置されている。
                                    
岡崎市内には家康公ゆかりの寺社や
史跡が多く歴史さん歩に最適なところです。

岡崎城「1959年(昭和34年)復元」
       天守閣前にある家康公遺訓碑の紹介       遺訓碑↑
            人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
                 急ぐべからず。
                 不自由を常と思えば不足なし。
                 こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
                 堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
                 勝つ事ばかり知りて、負くることを知らざれば害その身にいたる。
                 おのれを責めて人をせむるな。
                 及ばざるは過ぎたるよりまされり。

産湯の井戸 この井戸の水を汲み産湯に使用

徳川家康公銅像  
昭和40年家康公350年祭を記念して建てられた。

天守閣と龍城神社 岡崎公園は桜の名所です。


三河武士のやかた家康館
家康館の前では、グレート家康公「葵」武将隊の演武が
開催されます。演武の月日、時間は確認して下さい。

第1回は、徳川家康公でしたが、
三河ゆかりの武士が順次登場します。






2018年1月1日月曜日

2018年 謹 賀 新 年

2018.1(元旦)


   ※ご来光の画像はTV中継の画面からです。