三河三奉行(3)
三河三奉行とは、徳川家康の三河(岡崎)時代に奉行
として活躍した家康の家臣で、岡崎三奉行とも呼ばれる。
永禄8年(1565)家康は、本多重次、高力清長、
天野康景の三人を三河奉行として民政等を担当させた。
その当時「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛」
という俗謡が流行しましたが、三人三様それぞれの性格が
異なる家臣を抜擢し、新しい職制を築いたといわれている。
天野康景あまのやすかげ
通称:又五郎、三郎兵衛
天野康景の生誕:天文6年(1537)
死没:慶長18年(1613) 墓所:南足柄市 西念寺
譜代大名となり、駿河興国寺藩主となるが、藩の足軽が農民を
殺害した事件で、幕府の調べを拒否したため改易となる。
殺害した事件で、幕府の調べを拒否したため改易となる。
坂崎城址と神明社の森
所在地:愛知県額田郡幸田町坂崎
アクセス:JR相見駅下車徒歩約15分
カメリアガーデン幸田から北方向へ
神明社鳥居 拝 殿
天野康景邸址碑 神明社境内
境内にあった案内板 説明をお読み下さい。
三河三奉行の紹介は終了です。