三河三奉行(2)
三河三奉行とは、徳川家康の三河(岡崎)時代に奉行
として活躍した家康の家臣で、岡崎三奉行とも呼ばれる。
永禄8年(1565)家康は、本多重次、高力清長、
天野康景の三人を三河奉行として民政等を担当させた。
その当時「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛」
という俗謡が流行しましたが、三人三様それぞれの性格が
異なる家臣を抜擢し、新しい職制を築いたといわれている。
高 力 清 長 こうりききよなが
通称:与左衛門、仏の高力
・生誕:文禄13年(1530)・死没:慶長13年(1608)
・墓所:さいたま市 浄安寺
三河で生まれ、駿河で人質生活を送っていた家康に仕える。
三河一向一揆で軍功を挙げ、寺社の原状回復に努めました。
領民からは「仏の高力」の異名をつけられました。
清廉潔白な性格は家康の信頼も厚い武将でした。
関ヶ原の戦い後も岩槻城主のまま平穏な余生を送り没した。
高力城址と高力神明宮の森
所在地:愛知県額田郡幸田町高力
アクセス:JR相見駅から徒歩約10分
カメリアガーデン幸田交差点右折東へ進む。
高力神明宮 標柱と鳥居 拝 殿
高力神明宮由緒に左端に高力城址 徳川三河三奉行の
一人高力清長父祖代々の名城たりと記されています。
高力城跡の石碑
神明宮から少し離れた、相見川熊谷橋の袂に城跡の
石碑がありましたが、よく読みとれませんでした。
冬空の寒い中、JR相見駅から歩いて散策しました。
次回は「天野康景」の紹介です。