大久保忠教(ただたか)
大久保忠教(通称:彦左衛門)は、戦国時代から江戸時代
前期の武将、江戸幕府旗本、徳川氏家臣である。
永禄3年(1560)三河国上和田(岡崎市上和田町)で
大久保忠員の八男として生誕する。幼名は平助。
兄に活躍した武将の大久保忠世、忠佐、忠為がいる。
時を経て、三河国額田(幸田町坂崎)に2千石を拝領する。
寛永16年(1639)死没する。墓所は、長福寺(岡崎市)
本禅寺(京都市)立行寺(東京都港区)にある。
大久保一族の発祥地 岡崎市上和田町
大久保一族発祥の地碑
八百富神社(陣屋跡) 額田郡幸田町
大久保陣屋跡の説明です。
陣屋の跡には石垣が一部残っています。
大久保家菩提寺 長福寺
長福寺の案内板より、
「この寺は以前、鳳来寺の末寺として天台宗であったが、
日蓮の弟子日印が、文保2年(1318)京都に上る途中に
立ち寄り、法華宗に改宗させた」と本尊の脇書に配され
ている。天文16年(1547)6月大久保家の初代宇津忠茂が
長福寺に葬られて以来、大久保家の菩提寺になりました。
宇津家は後に大久保に改姓し「三河物語」を残した大久保
彦左衛門の墓も「死後は長福寺に葬るべし」との遺言により
一族の墓地とともに、この寺に建てられています。
長福寺 山 門 岡崎市竜泉寺町
本 堂
大久保(忠教)彦左衛門の墓所
墓所は長福寺境内より離れた場所にあります。
次回は、徳川四天王です。