2018年3月17日土曜日

三河武士ゆかりの地を訪ねて-6

徳川四天王ゆかりの地

徳川四天王の概略を紹介します


 徳川四天王は、安土桃山時代から江戸時代初期に、
徳川家康の側近として仕えて江戸幕府の樹立に
功績を立てた「酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・
井伊直政」の4武将を顕彰した呼称です。

徳川四天王(1)
 
酒 井 忠 次 さかいただつぐ   家紋:片喰カタバミ紋
                      徳川四天王の中では、最年長で筆頭であります。
                      生誕:大永7年(1527)三河額田郡井田城(岡崎市井田町)
                      別名:小平次(幼名)、小五郎、五衛門尉
                      死没:慶長元年(1596) 墓所:知恩院(京都市東山区)
竹千代(家康)が人質となって、今川義元のもとに
出されると、忠次はこれに随行しました。
(竹千代6才、忠次22才の時)

忠次は、三河一向一揆、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い、
小牧長久手の戦い等で数々の武功を挙げています。
家康が関東に移封された時は、既に隠居して嫡子家次に
家督を譲り、その後京都で生涯を終えました。

忠次は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の
厚い信任を受けた武将でした。

酒井家代々の居城であった
井田城址  岡崎市井田町
 井田城址碑
現在は城山公園

城址は住宅街にあり、城山公園には
城山稲荷社があり静かな所でした。

追 記
平成30年4月8日(日)
岡崎市春の風物詩「家康行列」が開催されました。
その時の、酒井忠次列の画像紹介です。
-1
 -2

次回は、本多忠勝を紹介します。