2018年4月11日水曜日

三河武士ゆかりの地を訪ねて-7


徳川四天王(2)

本 多 忠 勝 ほんだただかつ     家紋:立ち葵
   
         生誕:天文17年(1548)  別名:平八郎
         生誕地:三河国額田郡蔵前(岡崎市西蔵前町)
         死没:慶長15年(1610)墓所:浄土寺(桑名市)

       幼い頃から竹千代(家康)に仕えました。
       生涯の合戦に57回及んだが、かすり傷さえ負わなかった。
       武田軍から、家康に過ぎたるものが二つ、唐の頭に平八郎。
       信長から、花も実も兼ね備えた武将である。
       秀吉から、日本第一、古今独歩の勇士と称されました。
       家康公関東移封により、本多忠勝は上総大多喜十万石を
         賜り、関ヶ原の戦い後は、伊勢桑名十五万石に移封された。

本多平八郎忠勝誕生地碑  岡崎市西蔵前町
子孫が建てた碑で、民家の庭に建っていました。

本多忠勝が居住した洞城跡(岡崎市洞町)と伝わる。

岡崎公園の本多忠勝銅像
家康館の横にあり、観光客がよく写真を撮っています。
左奥は岡崎城です。 桑名城址にも銅像があります。

関ヶ原の戦い 本多忠勝の陣跡

旧本多忠次邸  東公園入り口
旧本多忠次邸は、旧岡崎藩主本多家本多忠勝系)の
末裔にあたる本多忠次が、昭和7年に東京都世田谷区に
 建てた住宅を移築し復原したものです。見学可能です。

平成30.4.8(日)
岡崎市春の風物詩「家康行列」が開催されました。
その時の、本多忠勝列の画像紹介です。

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次回は、榊原康政を紹介します。