2019年7月2日火曜日

設楽原決戦場まつり-1

蒸し暑い中、新城市の第29回設楽原決戦場まつり
見物へ、JR飯田線に乗り継いで出掛けて来ました。

   三河東郷駅下車・・設楽原歴史資料館・・馬防柵会場・・軽トラ市・・
 歴史資料館・・信玄塚・・首洗池・・勝楽寺・・三河東郷駅から帰路へ

しんしろ 戦国絵巻 三部作第三部紹介

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しんしろ戦国絵巻は第一部~第三部まであり、今回は第三部です。
(第一部:長篠合戦のぼりまつり、第二部:作手古城まつりで共に5月)

第29回  設楽原決戦場まつり 第三部
まつりスケジュール
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合戦の概要(織田・徳川軍✖武田軍)
         織田・徳川連合軍は、38、000の大軍を設楽原へ繰り出し、連吾川沿い
         約2kmに渡って馬防柵を作り防戦の構えを見せたため、武田軍は長篠
         城に包囲軍3,000の兵を残し、主力は設楽原へ進攻し両軍対峙した。
         武田軍は伝統の騎馬軍団、連合軍は鉄砲3、000挺を配備し戦いに挑み
         天正3年5月21日午前6時戦いの火蓋は切られたが、連合軍の間断なく
         飛ぶ銃弾と8時間に及ぶ交戦の末、武田軍は敗れ去るが、両軍には、
         1万余の戦死者が出た壮絶なる悲惨な「設楽原の戦」は終わった。
                         ※参考 天正3年(西暦1575年)5月21日(太陽暦7月9日)

        
三河東郷駅前の設楽原決戦場まつりのぼり イメージ 25(1日
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駅前の決戦場案内板
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設楽原歴史資料館から馬防柵会場まで行進

鉄砲隊の行進  画像クリックで大きくしてご覧下さい。
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ここから右折して会場へ 後方は小中生武者行列です。
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行列の先頭です。
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小中生武者の演武(武田軍と織田・徳川軍の対決)
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馬防柵内では川路覇城太鼓の披露、右は新東名高速です。
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鉄砲隊火縄銃演武

愛知県古銃研究会の演武・鉄砲隊の入場です。
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整 列
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暑いのに大変ご苦労様
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構 え て
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一 斉 発 砲
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 二段打ち 前列発砲
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後列発砲
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片膝発砲と直立発砲 前 列
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後 列
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西洋流火術鉄砲隊保存会(高島流)の演武
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火縄銃演武はまだ続きますが、JR電車の時刻(豊橋までの
 鉄道ダイヤは1時間に1本で所要約45分)の関係で他所へ移動。
 設楽原決戦場まつりの記事は続きますが、明日の投稿です。