2019年7月2日火曜日

設楽原決戦場まつり-2

昨日の続きです。      イメージ 26(1日)

設楽原歴史資料館信玄塚など・勝楽寺紹介

設楽原歴史資料館  新城市竹広字信玄原
イメージ 1

         入 館 券      武田軍 風林火山の軍旗
イメージ 2  イメージ 3

火縄銃の陳列
-1
イメージ 4
-2
イメージ 5

最大級の大鉄砲
イメージ 6
イメージ 7

 信玄塚の火おんどりの説明 
イメージ 24
愛知県指定文化財です。
イメージ 25
設楽原歴史資料館の屋上より望む「馬防柵」
イメージ 8
設楽原歴史資料館から寄り道しながら三河東郷駅へ

信玄病院跡地
イメージ 9

明治元年(1868)生まれの牧野文斎は名医でしたが、長篠・設楽原
古戦場の史蹟保存の活動を進められた。古戦場に点在する史跡には
 文斎が立てた石碑が現在も多く残っている。当時院長を務められた。

首 洗 池
イメージ 10
設楽原の戦いでは、この池で戦死者の首を洗ったと伝わる。

信 玄 塚
主戦場となった竹広村の住民は、戦いの後帰村し戦死した知名
  武将をそれぞれの地に埋葬した。他の戦死者は、武田軍を大塚
   連合軍を小塚に葬った。と伝承され信玄塚と呼ぶようになった。

大 塚
イメージ 11
小 塚
イメージ 12

この塚から発生した蜂を退治するため、供養を行ったのが
火おんどり(県指定無形民俗文化財)の始りとされる。
毎年8月15日の夜、この地で戦死者の霊を弔っている。
※詳しい説明は、上の歴史資料館紹介画像にあります。

閻魔堂道標 信玄塚内
イメージ 13
信玄塚には、供養塔や印塔などが多数あります。

道 標
イメージ 14
設楽原戦没者霊場 勝 楽 寺 山門  
イメージ 15 
歴史ある由緒をお読み下さい。
イメージ 18
曹洞宗 本堂 本尊:釈迦牟呂仏
イメージ 16

仁王像 左:吽形像 右:阿形像
イメージ 17


勝楽寺前は激戦地でしたが、この地は馬防柵が無く、武田軍の
 山県昌景隊が突こうとしたが、徳川軍の大久保忠世・忠佐兄弟が
 これを迎え撃ち激戦となる。 「京めざす 武田の雄図 今悲し」

JR飯田線 三河東郷駅
イメージ 19  イメージ 20

イメージ 21

JR三河東郷駅から乗車→豊川駅途中下車