設楽原歴史資料館・信玄塚など・勝楽寺の紹介
設楽原歴史資料館 新城市竹広字信玄原
入 館 券 武田軍 風林火山の軍旗
火縄銃の陳列
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最大級の大鉄砲
信玄塚の火おんどりの説明
設楽原歴史資料館の屋上より望む「馬防柵」
設楽原歴史資料館から寄り道しながら三河東郷駅へ
信玄病院跡地
明治元年(1868)生まれの牧野文斎は名医でしたが、長篠・設楽原
古戦場の史蹟保存の活動を進められた。古戦場に点在する史跡には
文斎が立てた石碑が現在も多く残っている。当時院長を務められた。
首 洗 池
設楽原の戦いでは、この池で戦死者の首を洗ったと伝わる。
信 玄 塚
主戦場となった竹広村の住民は、戦いの後帰村し戦死した知名
武将をそれぞれの地に埋葬した。他の戦死者は、武田軍を大塚
連合軍を小塚に葬った。と伝承され信玄塚と呼ぶようになった。
大 塚
小 塚
この塚から発生した蜂を退治するため、供養を行ったのが
火おんどり(県指定無形民俗文化財)の始りとされる。
毎年8月15日の夜、この地で戦死者の霊を弔っている。
※詳しい説明は、上の歴史資料館紹介画像にあります。
閻魔堂と道標 信玄塚内
道 標