2018年4月20日金曜日

三河武士ゆかりの地を訪ねて-8


徳川四天王(3)

榊原康政 さかきばらやすまさ         家紋:源氏車
生誕:天文17年(1548) 別名:小平太
生誕地:三河国上野郷(現豊田市上郷町)
死没:慶長11年(1606)墓所:善導寺(館林市)等

榊原氏は三河仁木氏の一族とされ、後に伊勢国一志郡
   榊原に移り榊原姓を称した。三河国に戻り松平氏の直臣
   酒井忠尚に仕える。康政は榊原直政の次男として誕生。
松平元康(家康)に見出され、数々の軍功をあげる。
   家康が関東に移封されると、康政は関東総奉行となる。
 上野国舘林城に入り10万石が与えられ大名となる。 

榊原康政生誕之地碑   豊田市上郷町

上 野 城 址   上郷駅から徒歩約10分です。

 本 丸 跡  祠がありました。

城址には、上郷護国神社が鎮座しています。

平成30.4.8(日)
岡崎市春の風物詩「家康行列」が開催されました。
その時の、榊原康政列の画像紹介です。



次回は、井伊直政を紹介します。



2018年4月11日水曜日

三河武士ゆかりの地を訪ねて-7


徳川四天王(2)

本 多 忠 勝 ほんだただかつ     家紋:立ち葵
   
         生誕:天文17年(1548)  別名:平八郎
         生誕地:三河国額田郡蔵前(岡崎市西蔵前町)
         死没:慶長15年(1610)墓所:浄土寺(桑名市)

       幼い頃から竹千代(家康)に仕えました。
       生涯の合戦に57回及んだが、かすり傷さえ負わなかった。
       武田軍から、家康に過ぎたるものが二つ、唐の頭に平八郎。
       信長から、花も実も兼ね備えた武将である。
       秀吉から、日本第一、古今独歩の勇士と称されました。
       家康公関東移封により、本多忠勝は上総大多喜十万石を
         賜り、関ヶ原の戦い後は、伊勢桑名十五万石に移封された。

本多平八郎忠勝誕生地碑  岡崎市西蔵前町
子孫が建てた碑で、民家の庭に建っていました。

本多忠勝が居住した洞城跡(岡崎市洞町)と伝わる。

岡崎公園の本多忠勝銅像
家康館の横にあり、観光客がよく写真を撮っています。
左奥は岡崎城です。 桑名城址にも銅像があります。

関ヶ原の戦い 本多忠勝の陣跡

旧本多忠次邸  東公園入り口
旧本多忠次邸は、旧岡崎藩主本多家本多忠勝系)の
末裔にあたる本多忠次が、昭和7年に東京都世田谷区に
 建てた住宅を移築し復原したものです。見学可能です。

平成30.4.8(日)
岡崎市春の風物詩「家康行列」が開催されました。
その時の、本多忠勝列の画像紹介です。

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次回は、榊原康政を紹介します。


2018年3月17日土曜日

三河武士ゆかりの地を訪ねて-6

徳川四天王ゆかりの地

徳川四天王の概略を紹介します


 徳川四天王は、安土桃山時代から江戸時代初期に、
徳川家康の側近として仕えて江戸幕府の樹立に
功績を立てた「酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・
井伊直政」の4武将を顕彰した呼称です。

徳川四天王(1)
 
酒 井 忠 次 さかいただつぐ   家紋:片喰カタバミ紋
                      徳川四天王の中では、最年長で筆頭であります。
                      生誕:大永7年(1527)三河額田郡井田城(岡崎市井田町)
                      別名:小平次(幼名)、小五郎、五衛門尉
                      死没:慶長元年(1596) 墓所:知恩院(京都市東山区)
竹千代(家康)が人質となって、今川義元のもとに
出されると、忠次はこれに随行しました。
(竹千代6才、忠次22才の時)

忠次は、三河一向一揆、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い、
小牧長久手の戦い等で数々の武功を挙げています。
家康が関東に移封された時は、既に隠居して嫡子家次に
家督を譲り、その後京都で生涯を終えました。

忠次は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の
厚い信任を受けた武将でした。

酒井家代々の居城であった
井田城址  岡崎市井田町
 井田城址碑
現在は城山公園

城址は住宅街にあり、城山公園には
城山稲荷社があり静かな所でした。

追 記
平成30年4月8日(日)
岡崎市春の風物詩「家康行列」が開催されました。
その時の、酒井忠次列の画像紹介です。
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次回は、本多忠勝を紹介します。




2018年3月1日木曜日

三河武士ゆかりの地を訪ねて-5

 大久保忠教(ただたか)

               大久保忠教(通称:彦左衛門)は、戦国時代から江戸時代
              前期の武将、江戸幕府旗本、徳川氏家臣である。
                                        永禄3年(1560)三河国上和田(岡崎市上和田町)で
                                     大久保忠員の八男として生誕する。幼名は平助。
                                        兄に活躍した武将の大久保忠世、忠佐、忠為がいる。
                                        時を経て、三河国額田(幸田町坂崎)に2千石を拝領する。
                                        寛永16年(1639)死没する。墓所は、長福寺(岡崎市)
                                     本禅寺(京都市)立行寺(東京都港区)にある。

大久保一族の発祥地 岡崎市上和田町

大久保一族発祥の地碑

八百富神社(陣屋跡) 額田郡幸田町

大久保陣屋跡の説明です。

陣屋の跡には石垣が一部残っています。

大久保家菩提寺 長福寺 
長福寺の案内板より、
                                       「この寺は以前、鳳来寺の末寺として天台宗であったが、
                                     日蓮の弟子日印が、文保2年(1318)京都に上る途中に
                                     立ち寄り、法華宗に改宗させた」と本尊の脇書に配され
                                   ている。天文16年(1547)6月大久保家の初代宇津忠茂が
                                   長福寺に葬られて以来、大久保家の菩提寺になりました。
                                      宇津家は後に大久保に改姓し「三河物語」を残した大久保
                                   彦左衛門の墓も「死後は長福寺に葬るべし」との遺言により
              一族の墓地とともに、この寺に建てられています。
                         
長福寺 山 門  岡崎市竜泉寺町

本 堂

大久保(忠教)彦左衛門墓所
墓所は長福寺境内より離れた場所にあります。

次回は、徳川四天王です。



2018年2月7日水曜日

三河武士ゆかりの地を訪ねて-4

三河三奉行(3)

三河三奉行とは、徳川家康の三河(岡崎)時代に奉行
として活躍した家康の家臣で、岡崎三奉行とも呼ばれる。

永禄8年(1565)家康は、本多重次高力清長
   天野康景の三人を三河奉行として民政等を担当させた。
   その当時「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛」
  という俗謡が流行しましたが、三人三様それぞれの性格が
   異なる家臣を抜擢し、新しい職制を築いたといわれている。


天野康景まのやすかげ
通称:又五郎、三郎兵衛
野康景の生誕:天文6年(1537)

死没:慶長18年(1613) 墓所:南足柄市 西念寺

譜代大名となり、駿河興国寺藩主となるが、藩の足軽が農民を
殺害した事件で、幕府の調べを拒否したため改易となる。

坂崎城址と神明社の森
所在地:愛知県額田郡幸田町坂崎
アクセス:JR相見駅下車徒歩約15分
         カメリアガーデン幸田から北方向へ


神明社鳥居           拝 殿

天野康景邸址碑   神明社境内

境内にあった案内板  説明をお読み下さい。 

三河三奉行の紹介は終了です。






2018年2月1日木曜日

三河武士ゆかりの地を訪ねて-3


三河三奉行(2) 

三河三奉行とは、徳川家康の三河(岡崎)時代に奉行
として活躍した家康の家臣で、岡崎三奉行とも呼ばれる。

永禄8年(1565)家康は、本多重次高力清長
   天野康景の三人を三河奉行として民政等を担当させた。
   その当時「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛」
  という俗謡が流行しましたが、三人三様それぞれの性格が
   異なる家臣を抜擢し、新しい職制を築いたといわれている。

高 力 清 長 こうりききよなが 
通称:与左衛門、仏の高力
・生誕:文禄13年(1530)・死没:慶長13年(1608)
・墓所:さいたま市 浄安寺 

三河で生まれ、駿河で人質生活を送っていた家康に仕える。
三河一向一揆で軍功を挙げ、寺社の原状回復に努めました。
領民からは「仏の高力」の異名をつけられました
清廉潔白な性格は家康の信頼も厚い武将でした。
 関ヶ原の戦い後も岩槻城主のまま平穏な余生を送り没した。

高力城址と高力神明宮の森 
 所在地:愛知県額田郡幸田町高力
アクセス:JR相見駅から徒歩約10分
     カメリアガーデン幸田交差点右折東へ進む。 

高力神明宮 標柱と鳥居                              拝 殿                  

高力神明宮由緒に左端に高力城址 徳川三河三奉行の
一人高力清長父祖代々の名城たりと記されています。

高力城跡の石碑
神明宮から少し離れた、相見川熊谷橋の袂に城跡の
石碑がありましたが、よく読みとれませんでした。

  冬空の寒い中、JR相見駅から歩いて散策しました。

次回は天野康景」の紹介です。



2018年1月22日月曜日

三河武士ゆかりの地を訪ねて-2


三河三奉行(1) 

三河三奉行とは、徳川家康の三河(岡崎)時代に奉行
として活躍した家康の家臣で、岡崎三奉行とも呼ばれる。

永禄8年(1565)家康は、本多重次高力清長
   天野康景の三人を三河奉行として民政等を担当させた。
   その当時「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛」
  という俗謡が流行しましたが、三人三様それぞれの性格が
   異なる家臣を抜擢し、新しい職制を築いたといわれている。


本 多 重 次 ほんだ しげつぐ 
通称:鬼作左、作左衛門
・生誕:享禄2年(1529)・死没:文禄:5年(1596)
・墓所:福井県坂井市 本光院 

頑固で厳格な性格でしたが、誰に対しても分け隔てなく
公平,平等に接していたので多くの領民に慕われました。
 また、主君の家康にも遠慮なく諫言したといわれている。

 日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな
  馬肥やせ」は、天正3年(1575)の長篠の戦いの陣中から妻に
あてた手紙ですが、仙は嫡子(長男)の仙千代のことです。
仙千代は後に、越前丸岡城の初代藩主である本多成重です。
手紙の故事を記念した碑が越前丸岡城にあります。

本多重次生誕地
  糟目犬頭神社 岡崎市宮地町
岡﨑市南部 JR岡崎駅から徒歩約25分のところです。


山 門                                    拝 殿

本多作左衛門重次生誕の地碑 境内にあります。

三河三奉行ゆかりの地を訪ねましたが、それぞれ
性格に特徴がある家康の三家臣で、いろいろな
エピソードがあったと伝わりますが、ここでは
詳細は省略しました。

次回は「高力清長」を紹介です。


2018年1月13日土曜日

三河武士ゆかりの地を訪ねて-1


三河武士とは、徳川家康に仕えて貢献した譜代の三河出身家臣の総称で、
家康の家臣は三河武士で構成されていて、精強で家康への忠誠心が強い。
三河は、愛知県東部(岡﨑市、豊橋市など)西部(名古屋市など)は尾張です。

徳 川 家 康 公
家康公生誕地:岡崎城
(岡﨑市康生町岡崎公園内)

概 略
竹千代(家康)は、松平氏第8代当主松平広忠の長男として1542年
 (天文11年)12月26日寅の刻(午前4時頃)岡崎城内で誕生しました。
    母は水野忠敬の娘於大で、幼名は竹千代、のち元信、元康、家康と改める。
 豊臣秀吉の天下統一後は、1590年(天正18年)関八州に移封される。
      関ヶ原の戦い後は、1603年(慶長8年)征夷大将軍となり、江戸幕府開く。
1616年(元和2年)75才で没す。久能山に葬られる。
江戸幕府歴代将軍の位牌は、岡崎市内の大樹寺に安置されている。
                                    
岡崎市内には家康公ゆかりの寺社や
史跡が多く歴史さん歩に最適なところです。

岡崎城「1959年(昭和34復元」
       天守閣前にある家康公遺訓碑の紹介       遺訓碑
            人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
                 急ぐべからず。
                 不自由を常と思えば不足なし。
                 こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
                 堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
                 勝つ事ばかり知りて、負くることを知らざれば害その身にいたる。
                 おのれを責めて人をせむるな。
                 及ばざるは過ぎたるよりまされり。

産湯の井戸 この井戸の水を汲み産湯に使用

徳川家康公銅像  
昭和40年家康公350年祭を記念して建てられた。

天守閣と龍城神社 岡崎公園は桜の名所です。


三河武士のやかた家康館
家康館の前では、グレート家康公「葵」武将隊の演武が
開催されます。演武の月日、時間は確認して下さい。

第1回は、徳川家康公でしたが、
三河ゆかりの武士が順次登場します。






2018年1月1日月曜日

2018年 謹 賀 新 年

2018.1元旦


   ※ご来光の画像はTV中継の画面からです。