新城ぶらり-1の続きです。
戦国武将「菅沼家一族」ゆかりの史跡を訪ねて
・・・野田城跡・・法性寺・・・JR東上駅→豊川駅
今回の散策で一番行ってみたかった野田城跡です。
伊那街道と野田菅沼3代の城「野田城跡」
野田の戦 武田信玄vs菅沼定盈 説明をお読み下さい。
家康を唸らせ・信玄を慄わせた男
菅沼定盈(すがぬま・さだみつ)
天文11年(1542)菅沼定村の子として誕生。
元亀4年(1573)武田vs菅沼の野田城の戦いが有名です。
武田軍の戦略により野田城主の菅沼定盈が降伏した。
後の天正3年(1575)徳川軍酒井忠次率いる鳶ヶ巣山
奇襲隊員として戦功を挙げ、武田軍へ雪辱を果たす。
家康の関東移封では、上野阿保藩に1万石で配される。
関ヶ原の戦勝で慶長6年(1601)次男定仍が伊勢長島
2万石に加増転封。定盈は慶長9年(1604)に没する。
一族の支流ながら、定盈の功績を評価され、徳川政権
下での子孫は、同族の中でも最も繁栄したという。
野田城跡の説明板
野田城跡(二の丸跡)