2019年6月29日土曜日

関ケ原合戦歴史探訪


関ヶ原史跡巡りウォーキング

      関ヶ原の戦い」史跡を巡るウォーク、地元のガイドと歩く。    

      午前:桃配山・・本多忠勝陣跡・・合戦祭り会場(昼食&自由行動)   

       午後:会場・・床几場・・島津陣跡・・決戦地・・笹尾山・・丸山・・会場    

天下分けた 関ヶ原の戦い
         期日:慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)         
          戦場:美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ヶ原町)       

関ヶ原の戦い 「両陣」配置図          
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                     関ヶ原の戦いを引き起した直接の理由は、朝鮮出兵を
                       めぐる現地の武将と、豊臣秀吉の意向に従って行動した
                       石田三成ら奉行衆との対立であったとされています。

              関ヶ原の戦いで争った二つの軍は、徳川家康を総大将と  
             する東軍と、毛利輝元を総大将として石田三成を中心とす 
              る西軍ですが、結果は東軍を率いた徳川家康の勝利となり、
              実質的に徳川家康の覇権を決定づけることになりました。

国史跡 徳川家康最初陣地
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慶長5年9月15日未明に、家康の配下3万余は、
   桃配山周辺に陣取りました。後で最後陣地へに移る。

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本多忠勝の陣跡
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東軍の軍艦として家康を守り中央に進出し奮戦する。
 戦後、桑名10万石に転封された。徳川四天王の一人。

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国史跡 徳川家康最後の陣跡
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    家康はここで最後の陣頭指揮に当たり、戦いが終わると
                             床几に腰掛け、味方が取ってきた武将の首実験した。
  町内には東、西首塚があり、敵味方問わず弔っています。

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島津義弘陣跡
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 義弘は島津軍千人を率いて、北国街道を抑えるため、
ここ小池村に陣を置きましたが、後で敵中突破します。

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   国史跡 戦地 今回のウォークでは訪れないので遠望です。
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  霧の晴れた午前8時、先鋒の福島隊は井伊隊の動きを
    見て、先陣をとり宇喜多隊に一斉攻撃を浴びせました。


笹 尾 山(石田三成陣地)へ登ります。
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国史跡 石田三成陣跡
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    石田隊6千余は、竹矢来の柵を二重に配置し、前衛隊長の
島左近らの指揮のもと、死闘をを展開した後、敗退する。

展望台でガイドから戦場の説明を受けています。
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国史跡 決 戦 地
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   笹尾山を前にしたこの辺りは、最大の激戦地でした。

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ウオークの途中  そば畑
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           道 標           クマ出没注意!
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国史跡 岡山(丸山)烽火場跡 
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      この山頂には、長政と重門が陣を敷き、霧も晴れ上がった
午前8時頃、ここから狼煙が上げられ戦闘が開始された。

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       現地のシルバーガイドは、健脚で歩きながら戦いの説明をされ、
  分かりやすく関ヶ原の歴史にふれることが出来ました。
       以上が、歴史探訪ウォーキングツアーで巡った史跡紹介でした。
    

           
  ウォーク日和の中、歴史の町「関ヶ原」満喫しま