戦国武将「菅沼家一族」ゆかりの史跡を訪ねて
・・新城城跡・・宗堅寺・・軽トラ市・・新城駅→野田城駅・・泉龍寺・・
新城城跡 本丸南東に残された土塁 新城小学校内
新城城は、天正3年(1575)の長篠の戦いで勝利した奥平貞昌が
新たに城を築城し、長篠城から移り住んだことがその始まりとさ
れています。この城は、領主の移封に伴って城主の交代がしばし
ばしばしば起こり、また途中、公領地にもなりました。
慶安元年(1648)に陣屋が新城城跡地に置かれると、野田城の
城主であった菅沼氏の子孫によって治められ、明治維新までその
支配が続けられることとなりました。
新城の址碑
菅沼家の家紋品は三釘貫(みつくぬぎ)と言います。
説明は長くなるので省略します。
しろあと資料館 新城小学校内 新城小の校章に菅沼家の家紋品がある
旧新城藩主菅沼家菩提所 宗 堅 寺 新城市宮前
本 堂 曹洞宗 本尊:釈迦牟尼如来
慶長元年(1648) 菅沼定実が丹波亀山から移封の時に移した。
菅沼家歴代(11代)の墓所
信 玄 砲 案内板 旧鬼瓦に菅沼家の家紋品が
元亀4(1573)年の野田の戦いの時、野田城内から聞こえる笛の音に
誘われて出てきた信玄を撃ったと伝えられる鉄砲(信玄砲)です。
現在信玄砲は、新城市設楽原歴史資料館で展示保存されています。
宗堅寺境内の紅葉